オットー 一世。 オットー1世

オットー1世(大帝)とは

結局、隣国ボヘミアの王であったオタカル二世(1230~1278)がオーストリアを得た。 他方 951年イタリアに侵入,寡婦であったブルグンド女王と結婚して,イタリア王位を得,イタリア政策を重視するとともに,王権の基盤をこれまでの門閥的支配組織から帝国教会組織へ移し,多くの教会領寄進を行なった。 そうして962年頃に、『神聖ローマ帝国』が誕生した。

18

オットー[1世]とは

この勝利はオットーの名声を内外に高めた。 ハインリヒ一世が逝去すると、その遺言により息子のオットーが王として貴族達から承認された。

人物BOX~西洋中世~近世の英傑達

また、オーストリアの歴史の大半は、ハプスブルクの歴史とも言われている。

7

「オーストリアの歴史」ハプスブルク家、神聖ローマ帝国、ウィーンのユダヤ人

オットーはに倣い、戴冠式を(エクス・ラ・シャペル)で挙行する。

10

オットーの戴冠/ヨハネス12世

尚、ルドルフ一世即位後の神聖ローマ帝国については近世編で語る事にしたい。 更に、800年11月、カール大帝はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂にて教皇レオ三世より「ローマ皇帝」の帝冠を授けられた。 962年にオットー1世は、ローマでローマ教皇から西ローマ帝国皇帝の帝冠を授けられて皇帝となった。

19

神聖ローマ帝国の皇后一覧

一方、アッティラやガイセリックなどの出現により、すっかり支配力の低下してしまった西ローマ帝国は落日の時を迎える。

ブルグントのアーデルハイト

Loon, 1150年頃 - 1191年)との間に2男7女がいる。 マクデブルク大司教座の設立 [ ] 、オットー1世はかねてよりの悲願であったの設立に着手する。 王国は、カール大帝(742~814)、あるいはシャルルマーニュ(カール大帝のフランスでの名前)の時代(8世紀後半から9世紀前半)には、後のフランスとイタリアの北部、ドイツの西部、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、スロベニア、そしてオーストリアに相当する地域を支配していた。